キスミー、キミー  第22話

  三人の捕虜を得て、マンスールは憂鬱だった。

(おれもこれで終いだ)

 三人の捕虜はヴィラ・カプリの人間である。ヴィラ・カプリほどの巨大組織を敵にまわして、生き抜けるのだろうか。

 マンスールはサハラ砂漠にひそむ小さな盗賊団の頭目だった。

 もとはアルジェ郊外でオリーブを作っていたが、早々に飽きて、痛快な略奪や誘拐業に手を染めた。

 九十年代、アルジェリアはテロで荒れていた。マンスールはテロの下請けもしたが、この国のテロリストは貧しく、好きではなかった。

 それよりもテロを隠れ蓑に、略奪に励み、西欧の人身売買組織に美女、美少女、美少年を売り渡して儲けていた。

 実入りはよかった。
 彼は大所帯を養うようになり、表稼業としてホテルさえ買った。

 二十一世紀に入り、テロが減り、海外の旅行者が増えた。旅行者を呼び込めば、安定収入が得られ、かつ、めぼしい客をあとで売り飛ばすこともできると目論んだのである。

 愚考だった。

 旅行者はたしかに増えたが、ウアルグラ県のへんぴなホテルにまではなかなかたどり着かない。その上、砂漠越えを愉しみにくる冒険野郎たちは、キャンプで過ごし、ホテルに泊まりたがらなかった。

 ホテルの経費ばかり増え、裏稼業でそれを支えねばならぬというバカな事態となった。

 マンスールはかたぎの稼業をあきらめたが、今度、ホテルが売れない。借金が増えつづけ、武力の維持さえむずかしくなった。あとは身ひとつで逃げるしかない。

 そこへうまい話が舞い込んできたのである。

 ――ある集団を捕獲してほしい。報酬は米ドルで一千万。

 エージェントは東洋人の顔をしていた。
 サイモンとだけ名乗った。さる企業の依頼だと言ったが、くわしくは明かさない。

 ただ、これから砂漠にやってくるであろう、ある人間の集団を襲い、捕えて欲しい、その集団は武装している恐れがある、と言った。 

 マンスールは砂漠の戦いに慣れている。
 武装しているとしても、値段は危険に見合うと思われた。一千万ドルあれば、ここ数年の憂いがすべて吹っ飛ぶ。

 ターゲットがヴィラ・カプリだと聞いた時も、なんとかなると思ってしまった。金づまりの毒気で、正常な判断ができなくなっていた。

 作戦がすすみ、冷静さが戻ってくると、ようやく自分が愚かな取引をしたことに気づいた。

 エージェントは捕虜を殺すつもりだった。激怒したヴィラは闘牛の牛のように自分に向かってくる。殲滅されるであろう。一千万ドルは彼の築いた身代すべての代償なのだった。

(いずれにしても逃げるしかないってことだ)

 逃げる際は、名前どころか顔も変えなくてはならない。一千万ドルではとても足りない、と思った。




 ピートは硬い椅子の上で身じろぎした。
 目隠しの縁に光が入っていて、部屋がそれなりに明るいのはわかる。

 彼のうしろでふたりの男がしゃべっていた。車の故障や保険の話で、いずれもピートには関係のない雑談だった。
 やがて、ひとりの人物が中に入ってくる気配がした。

「目隠しをはずして」

 アラビア語の指示に、男たちが従う。布が剥がれ、ピートはぼやけた目をしばたいて、相手の人物を見た。

 小柄な東洋人だった。
 色は浅黒く、縁の細いメガネをかけていて若く見えた。ピンクのポロシャツのせいもあるかもしれない。

 だが、半袖から出た腕は硬く引き締まっている。テニスで鍛えた筋肉ではない、きなくささのある腕だった。

「ようこそ。ミッレペダ」

 男はそう切り出し、自分はサイモン、と名乗った。

「わたしはある利益集団の代理人だ。その集団の依頼で、きみたちをここに呼び寄せた。用は簡単だ。いくつか質問に答えてほしい。用が済めば、解放する。抵抗する場合は処刑する。わかったね」

 きれいなBBC発音の英語だった。少なくともイギリス人ではない、と察した。

(いったいどこの組織だろう)

 ピートは困惑していた。
 いったいなんの手違いが起きているのだろう。

 ヴィラに歯向かえる敵などないはずではないか。この世界はすべて平定した。国家も同業他社もヴィラには手を出せないはずではなかったのか。

 だが、数式のようにいかないのが現実である。誰もがおとなしく従っているとは限らない。愚かさから、あるいは冒険心から、ヴィラに挑戦してくる個人、団体がある。

(おれのような下っ端は、そんな事故に巻き込まれたりもするわけだ)

 ピートは腹をくくった。ミッレペダとはなんですか、という顔をした。

「わたしは旅行者です。エジプトのセキュリティ会社に」

「どうか」

 男は手をあげた。

「真実だけを――。時間を省略したい。名前は?」

「ピート・アルマン」

「デクリア番号は」

 ピートはまた戸惑った顔をした。胸のうちでも、ヴィラ独特の呼称が出たことにたじろいでいた。

 それでも、相手がミッレペダに用事がある以上、ミッレペダではないと主張しなければならない。

「人違いされているのではないですか?」




 サイモンはもう質問をしなかった。
 兵隊が、ピートの襟首をひきあげ、いきなり腹を殴りつけた。

 ピートは息を詰めた。頭の隅で、はじまった、とおもった。
 顔に、腹に、重い打撃が襲い掛かる。倒れると靴先がはらわたにめりこんだ。

 彼は身を丸め、顔と股間を守り、殴打に耐えた。
 ジムでは格闘技の訓練もしているから、痛み自体に免疫がないわけではない。だが、後ろ手に縛られ、腹を守れない状態では、いつまで耐えられるかわからなかった。

 ミッレペダ隊員は、拷問に対する肉体的な訓練は受けない。
 訓練過程で、ほんの何時間か、尋問のやり過ごし方、緊急避難窓口への連絡のつけ方は教わる。

(だが、窓口自体に裏切られた場合はどうなる?)

 しだいに靴先が内臓深く刺さるようになった。ピートは息を吐いてしまい、蹴りの痛みに身悶えた。

(とにかく、どうやって逃げ出すか、だ)

 そう思った時、後頭部に打撃が襲い、眩んだ。数分、気絶したようだった。

「きみたちは変な集団だな」

 サイモンは少し離れた場所に立ち、首をかしげていた。

「きみは銃で撃たれた痕があるし、ひとりはどう見ても戦闘員じゃない。あの男は犬狩りではないってことか? それにたった三人?」



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