キスミー、キミー  第24話

 サイモンはにがいコーヒーを飲み、顔をしかめた。

 悩んでいた。捕えた三人は彼の待っていた者とは違った。
 しかも少ない。彼の予想では十人、死傷者が出たとして、七人か八人は手にいれられるはずだった。

 そのはずが、肝心のミッレペダはひとり。ふたりはヴィラから逃亡した者たちであった。  ヴィラが彼らのために戦うだろうか。

 サイモンは戦争をのぞんでいた。
 それが彼の仕事だった。ヴィラというリヴァイアサンを怒り狂わせるには、たった三人の生贄では厳しい。

 ――彼らを餌に救援を呼ばせるか。

「これ以上は危険だ」

 盗賊団の主、マンスールは反対した。

「やつらはもう、われわれのことを嗅ぎつけているかもしれない。あのふたりを連れて、さっさと出てってくれ」

「三人」

「ふたりだ」

 盗賊の頭目はそっぽをむいた。

(泥棒め)

 サイモンはいやな顔をした。この好色な頭目はキムという美青年を勝手に、自分の分として引き抜いてしまった。

 サイモンが契約違反だというと、先に残りの金を渡せ、とごねる。尻に火がついているようだった。

(こいつらはあてにならない。金がかかるが、一度戻って助っ人を集めてくるか)

 他方、マンスールにしてみれば、刻々と敵が迫っているようで落ち着かない。

 砂漠には何もないようでいて、緊密な連絡網がある。電話が発明されるはるかむかしから、砂漠の人々の情報は早いのだ。

(あの小僧は売ってしまおう)

 と思っていた。
 美しい女ほどではないが、美青年も近頃はいい値がつく。早く現金に換え、いざとなった時の逃走資金に足そうと考えてた。

(アハマドのじじいのところに売ろう。あの男は美男に目がない)




 リコは、ピートの房の掃除をした。
 房は吐瀉物と糞便で惨憺たるありさまだった。乾いた砂を撒き、それをすべて掃き出した。

「ど、どこいった。リコ!」

 数分おきにピートが目を醒まし、リコを探す。この男は拷問でなかばおかしくなっていた。

「置いてかないでくれ。置いてかないで」

「イエス、マーム」

 リコは嘆息した。
 彼は自分の房で、見張りが別の棟にいる囚人について話すのを聞いた。

 ――すっかり気がふれてしまった。

 ――あそこに近寄るのもいやだ。汚くてかなわん。

 リコは誇り高いアラブが掃除などの仕事を嫌うのを知っていた。
 自分が代わりに世話しようというと、思いのほか、たやすく聞き入れられた。

 ピートは恐慌状態にあった。
 房は汚れ果て、彼のズボンは扉の傍に打ち捨ててあった。とても穿ける状態ではない。

 ペニスは血がこびりつき、勃起したように腫れあがっていた。小便を滴のようにもらしたが、うまく排尿できていない。尿道が腫れ狭まっているらしい。

(これでは腎臓がやられる)

 膀胱が小便でふくれあがっている。これが尿管を逆流すると、腎臓が尿で膨れ、腎不全を引き起こす。

 リコは見張りに頼み、カテーテルを探してくれるよう言った。そんな専門的なものはなかったが、細めのストローが与えられた。

「おまえは医者か」

 見張りの若者は興味を持った。

「そういう訓練を受けた」

 リコはそれをアルコールで消毒し、ヴィラの犬にカテーテルを施すように、ピートのペニスにストローを潜り込ませた。
 ピートは飛び上がり、暴れた。

「やめてくれ。やめてくれ!」

 高熱で、意識もさだかでなかった人間が、恐怖のために飛びあがった。
 部屋の隅に、カニのように潜り込もうとしているのを引っ張り出し、リコは苦笑いした。

(まったく、おれはこんなことばっかりやってるよ)

 体重をかけて押さえ込み、その腫れ上がったペニスをつかむ。ピートは絶望して泣き叫んだ。

「助けて。言う! 言います!」

 お願いだ、と泣きじゃくった。
 が、ペニスにストローを差し込むと、いきおいよく血尿がほとばしり出た。その後、おどろくほど長い間、濃い色の尿が出続けた。




 熱が下がり、身を起こせるようになると、ピートはみじめに白状したことを詫びた。

「気にするな」

 リコは責めなかった。

「おれのほうはもう証人がきて、バレてた」

「証人?」

「ここには犬がいる」

 ここに、もう一匹、ヴィラの犬がいる、と言った。
 リコもピートと同様に殴られ続けた。が、気絶しているふりをしていた時、ひとりの男が彼を、

 ――このひとはヴィラのアクトーレスです。

 というのを聞いた。

「薄目を開けてみたら、中庭で見たことのある顔だった」

 犬だ、と言った。

 ピートは首をかしげた。連中がなんのためにヴィラの関係者をかきあつめているのかわからない。
 首実検のためにさらわれてきたのだろうか。
 リコは言った。

「もし、あの犬が誘拐されたなら、ミッレペダが追っているかもしれない。彼らがここを強襲したら、助かる。希望は捨てるな」

 ピートは複雑な思いがした。

「おれは助かるが」

 リコとキミーの旅はそれで終わってしまう。

「また、逃げる。もし、逃げられなかったら、その時はたのむ」

 リコは眉間を指差した。殺せ、と言っていた。

 ピートは見つめ返した。
 そのつもりでこの男を追っていたのだ。だが、事態はなんと変わってしまったことか。

「そうだな」

 ピートはあいまいにうなずいた。事態が複雑すぎて返事のしようがなかった。まだ自分とてどうなるかわからない。

 一方、リコ自身もただミッレペダを待ってはいなかった。目隠しをはずされたことで、彼は不吉な予感をもっていた。
 彼は見張りの若者を手なずけた。

「きみと同じ部族のアリなにがしを知ってるよ」

 という具合に、知人の名を出すと、若者はぎょっとしたようだった。その後は、おどろくほどにうちとけた。
 リコと雑談するようになり、そのついでにまわりの情報ももたらした。

 リコはこの場所のだいたいの地理。仲間は二十人ほどであること。ボスの名はマンスールで、サイモンはこの仕事のために組んだよその組織の人間であることを知った。
 その男が捕虜を殺す気であることも知った。
 さらに、

「あのハンサムな男の子に関しては、わからない。あの子はマンスールの女にされている」

 という知らせも、聞いた。

(しかたがない)

 リコはおどろかなかった。かえって、キミーだけは助かるのではないかと希望をもった。

 ――最悪、命さえあればいい。

 そう思い、また、そうだろうか、とべつの声が言うのを聞いた。
 あのキミーが命さえあればいい、などと言うだろうか。あの清澄なグリーンの眸がそんな妥協をゆるすだろうか。



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