キスミー、キミー 第28話 |
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屋内から鋭い口笛の音が響いた。 ピートは玄関前に車を滑り込ませた。玄関前は煙があふれている。すぐにリコの大きな影が現れ、後部座席のドアを開けて、荷物を放り込んだ。 人間だった。 (キミー?) ピートがふりむくと、反対側のドアから、アラブ人のような長衣を着たキミーともうひとりの男が転がり込んでくる。 助手席のドアから、リコの大きな肩が押し込まれ、ピートに当たりそうになった。 「ゴー!」 ピートは闇のなかに車を発進させた。 闇のなかをひたすら前方へ突き進む。アスファルトの道路に出るとピートははじめて言った。 「リコ、どっちだ」 「西、左折だ」 彼らはハイウェイを西にむかって走りつづけた。追っ手はない。 リコが屋内に入りこみ、銃撃をはじめると、敵は二点からの攻撃にパニックを起こした。 応戦した者もあったが、ほとんどが逃げた。ピートは確保した車に乗り込もうとした男たちを、銃で追い払わねばならなかった。 「それはごくろう」 リコはねぎらった。「いい車じゃないか」 「敵前逃亡しようとしたやつが、キーを持ってた。おかげでイグニションコードをつないだりする手間がはぶけたよ。それで――どちらさん?」 バックシートの端の中年男が、力なく、 「デイトンだ」 と挨拶した。 デイトンは二十日前、モンティとともに誘拐されていたと説明した。 犬だけでなく、主人も捕らわれていたとわかり、ピートはおどろいた。 「それじゃ、ヴィラが動かないわけだ」 「いや、動いただろうよ」 デイトンは言った。 「彼らはわたしに電話をかけさせ、犬が逃げた、と言わせたんだ」 その時、キミーが悲鳴をあげた。 「リコ! 血が出てる」 リコの肩が血に濡れていた。キミーは発作をおこしたように泣き叫んだ。 「おれだ。おれが撃った弾だ!」 「違う! おれの血じゃない」 リコは叱り、拭くものを探した。足元に膨らんだ革かばんがあった。 開けてみて、リコは目をしばたいた。 「どうした」 ピートが見ると、リコは首をかしげつつ見返し、米ドルの札束をつまみだしてみせた。 半日、走り続けた。 一度、車を替え、空港のあるガルダイアに向かう。途中、一行はレストランを見つけ、車を止めた。 「すげえうれしい。腹減ってしかたなかったんですよ」 モンティが一番元気だった。主人の手をとり、さっさと店に向かった。 ピートがふりかえる。 「キミー?」 キミーは降りなかった。リコもそれを見て、車に残った。 キミーがショックを受けているのを知っていた。リコは後部座席にまわり、キミーの肩を軽く叩いた。 「キミー、たいしたことじゃない。よくあるんだ。ああいうことは」 経験のない新兵は銃弾が飛び交うと、まともな判断ができなくなる。動くものはなんでも撃ってしまう。 「おれだって撃つつもりで飛び込んだんだ。止めるのは、経験と練習がいるんだよ」 「リコだけじゃない」 キミーは涙をあふれさせた。 「たくさん、殺した。たくさん」 リコはキミーを抱きかかえた。言葉がなかった。ただ、その痩せた背をなだめ、キミーの痛みを感じていた。 代われるものなら、代わってやりたかった。 「おれは人殺しだ!」 キミーは蹴飛ばすように言った。 「どうして人殺ししなきゃいけないんだ。どうして、おれは撃たなきゃいけないんだ」 また言った。 「どうしたらいいんだ。あいつらは死んだ。死んじまったんだ! もう生き返らない!」 彼は泣き崩れた。 「おれは死ねばよかった!」 ペルツァーに刺された時、くたばっちまえばよかった、と泣いた。 怒りで声がひび割れた。石礫を叩きつけるような泣き声だった。 リコは気を沈ませた。 生きたことを後悔しているという言葉がせつなかった。 ――あれは素晴らしい日だったんだぜ。 「そうなっていたら、おれは救われなかったろうよ」 キミーははげしく泣いた。痛みにのたうちまわるようだった。 リコは彼を胸に抱き、ただ泣き声を聞いていた。 できることはなく、そばにいて、聞いているだけだった。小鳥の羽が折れたようにかなしかった。 「ここで別れよう」 積み木をうずだかく積みあげたようなガルダイアの町が見えると、リコはピートに言った。 「ここからは連れていけない」 ピートももはや、つきまとう理由がなかった。ヴィラの客と犬も保護しなければならない。 「一日だけだ」 一日だけ猶予をやる、とピートは言った。 「明日、隊に連絡する。その間にどこへでも行け」 ピートと客のデイトン主従はホテルの前で下ろされた。 デイトンは窓からのぞきこみ、リコに言った。 「困ったら、わたしのとこに逃げてきなさい。きみらには大きな借りができた」 モンティも言った。 「キミーは命の恩人だよ。おまえのことは忘れない」 「おれも」 忘れられないよ、とキミーはニヤッと笑った。 ピートはその髪をつかみ、 「おまえはよくやった。じゃなきゃ、ここにいる人間は誰も助からなかった」 とナプキンのメモを渡した。 「ぎりぎりまで使うなよ」 と言った。 三人と別れ、リコは車を走らせた。キミーが聞く。 「これからすぐ空港へ行くの?」 「疲れたか?」 「おれ、飯食いたいな。本場のクスクスとか」 「いいよ」 少し買い物の用があったが、リコはゆるした。キミーがまだ本調子ではないと感じていた。 レストランに入り、クスクスを注文する。 アルジェリアのクスクスは、米粒状のパスタに肉や野菜のスープがかかっている。 そのレストランのクスクスは羊肉の塊が大きく、野菜もたっぷり入っていた。トマトソースが熱く、味もよい。 「うまいね」 キミーは機嫌よくほおばった。食べ、ヴィラのレストランのクスクスについてしゃべる。しゃべりながら、目の縁に涙が光っていた。 「感動しちゃうね。またこうしてふたりで飯を食えるなんて」 「しばらくよけいなのがくっついていたからな」 あ、とキミーがナプキンを取り出す。数字とメッセージが書いてあった。 「ピートの。リコも覚えておいてよ」 「読んでくれ」 「『おれのおばあちゃんの番号。ほんとうに困った時にだけかけること』」 数字を読み上げ、キミーは聞いた。 「記憶した?」 「ああ」 グレート、とキミーはまぶしげに見つめた。 「リコ、おれもプレゼント、あるんだ」 リコは見返した。 キミーは微笑った。 「おれも、あなたにお礼がしたい。ちょっとキー貸して」 彼は車のキーをとり、店から出て行った。 三分たっても戻らず、リコは店を飛び出した。 車が消えていた。 ピートは疲れ果てていた。 シャワーを浴びた後は、気絶するように眠りに落ちた。長く電話のベルに気づかなかった。 ようやく受話器をとると、リコからだった。 『キミーがそっちにいってないか』 ピートは眉をしかめた。いない、と答えようとして、ドアの外の騒ぎに気づいた。 彼は唸った。 「来た。今」 ドアを開けると、キミーがうなだれて立っていた。かぼそい声で、 「ヴィラに帰る」 と言った。 |
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