キスミー、キミー  第32話

 ペルツァーはメキシコシティの邸にいた。ソファにもたれ、物憂くモニター画面を眺めていた。

 モニターには、森に囲まれた石段の風景が映っている。画面中央には石の台が据えられていた。作業する者たちのスペイン語の声が時々入る。

「旦那様」

 ドアから召使が声をかけた。

「キミーが目を覚ましました」

 連れて来い、と命じ、ペルツァーは自分の手の包帯に目をとめ、ため息をついた。
 キミーの扱いづらさに手を焼いていた。

 彼の前で愛人を痛めつけてみせた。

『彼の苦しみを終わらせてやれ』

 とナイフを渡すと、キミーはペルツァーにナイフを突きつけ、リコを解放しろとわめいた。

 罰として、愛人を神の生贄に捧げると告げると、キミーは脱走した。すぐに戻ってきたが、邸にある車はすべて壊されていた。
 支障はない。生贄はヘリで運ぶ。

 だが、キミーは自分が生贄になるといって、そばにあったペンを強く腹につき立てた。すぐに取り押さえたが、腸を突いてしまい、手術せねばならなかった。

(からだに傷などつけおって)

 ペルツァーはにがにがしく思った。
 ペルツァーは血がきらいだった。犬に血なまぐさいことをさせることはあったが、それは彼の仕掛けの一環で、彼自身は直接の暴力を好まない。遊びのかたちが崩れてしまう、とも思った。
 その上、

 ――死骸では意味がない。

 彼は生きた人形が欲しかった。少なくとも、当分は。

「連れて参りました」

 車椅子が押されてきた。キミーはぐったりともたれ、まぶたをとじかけている。だが、意識はあった。

「キミー。しっかりと目を開けなさい」

 モニターがよく見えるよう車椅子を据えさせる。キミーは画面にうつる風景を見て、目をとじた。祈りのことばを口にしている。

(気絶してしまうだろうか)

 ペルツァーは苦笑した。

(まあいい。録画を繰り返し見せてやればいいことだ)

「クソ野郎!」

 キミーが唐突に怒鳴った。
 画面上には数人の男が映っていた。彼らは担架から大きな荷物をおろし、石の台座に横たえた。

 荷物、といえた。それは大柄な人間の裸体だったが、四肢は崩れ、どこまでも折れ曲がった。顔は腫れあがり、目鼻さえさだかでない。

 男たちはその腕に錘のついた鎖をつけた。
 「生贄」は意識があるのか、腕をつかまれ、苦しげな喘ぎをもらした。

「あんたは間違ってるよ!」

 キミーは涙を噴いて怒鳴った。

「こんなことをしても、あんたは何も手にいれられない! おれはこんなむごい人間を相手にするほどヒマじゃないんだ!」

「おまえなど必要ない」

 ペルツァーはきっぱりと言った。必要なのはそのからだだ。
 電話が入った。ペルツァーがとると、部下が報せた。

『準備OKです』

「そこらにカラスはいるかね」

『さあ。でも、すぐやってきますよ』

「よかろう。はじめてくれ」

 やめろ、とキミーが暴れた。だが、彼の手は車椅子に手錠でつないであった。
 画面に髭面の悪党が映り、おどけて斧をかまえてみせた。その男が台座のほうへ進み行く。生贄の前に立ち、その腹に斧の刃をあてた。
 斧を大きく振りかぶる。

「キミー、見なさい」

 ペルツァーは舌なめずりするように、キミーに笑いかけた。

「リコがこちらを見ている。おまえに何か言っているよ」

 キミーはおどろき、目を開けてしまった。
 グリーンの目が大きく瞠かれた。唇がわななき、声が出ない。

 その目から、透明な滴があふれ、すべり落ちた。
 ペルツァーはその表情に、厚い肉を噛みしめるような官能を感じた。

 だが、キミーはふりむき、意外にしっかりした目を向けた。

「なんか起きてるよ」

 画面はいつのまにか変わり、縦になった石畳と寝ている木々を映していた。
 スペイン語の叫び声と銃声が聞こえている。機関銃の連射音がしていた。




 ピートは輸送ヘリで、リコをマイアミまで搬送した。
 富豪のデイトンは、自宅の邸に医者と医療設備を配して、彼らを待っていた。

 リコは体中の骨を砕かれていた。臓器にも損傷があり、さらに直腸が破裂して、腹膜炎を起こしていた。

(それに、痙攣が残っていた)

 ピートは憂鬱な思いで看護師の報告を聞いた。ヘリで輸送している間、太腿や腕の筋肉がぴくぴく動いていた。
 骨折で骨の袋となったからだに、電流を流されたことは想像にかたくない。

(サドめ)

 サディストが悲鳴を聞きたがって、ゆっくりいたぶったに違いないと思った。

 ピートは繭のように包帯に包まれた友を見下ろした。
 まったくのミイラ男だった。皮膚の出ている部分は、ほとんどない。
 右目の睫毛だけが、この包みが人間であると明かしている。

(心配なんかしてないぜ)

 ピートはかたく唇を結んだ。この男が死なないのはわかっていた。
 どんなにグシャグシャになろうとも、危機に陥ろうとも、この男は冷静に対処するに違いない。動揺などしない。

(おれの唯一の男だもんな)

 ピートは愛情をこめて、包帯男を見つめた。




 ソルとレニーはアフリカに帰った。
 ピートも日常に戻り、しばらくじっと様子をうかがっていた。ミッレペダ内で、彼らの秘密ミッションが知られた気配はないようだった。

 武器はすべて米軍と同じものを使い、さも特殊部隊がリコを救ったというように偽装しておいた。デルタの仲間がリコを救ったのだ、と敵が信じてくれればいい、と思っていた。

 ひと月後、一度だけリコを見舞った。
 リコは痩せていたが、だいぶ人間らしい風体に戻っていた。

「やあ」

 リコはすこしまぶしそうに目をほそめた。左眼のそばにまだ新しい手術の痕がある。

「その目。大丈夫なのかい」

「左の視力が落ちてる」

 彼は言った。「問題ない。だいたい見えれば撃てる」

 ピートはその落ち着いた声を聞き、微笑んだ。
 あの男がいた。砂漠でミッレペダ二小隊を振り回した、最悪の敵がいた。

「では次は、完全に仕留めてくれ。もうレスキュー隊は出ない」

 ああ、とリコは硬い声で言った。

「感謝する」

 ピートは椅子を引いて、座った。
 リコの空気が冷えていて、なんとなくさびしかった。

(無理もない)

「キミーはけっこうしぶとい」

 ピートはなぐさめた。「焦るなよ」

「あいつがペンで腹を刺したのを見た」

 リコの声が割れた。はじめて声になまなましい感情が宿った。

「ペルツァーはやり方を知っている。追いつめられて、クラッシュさせられる」

「キミーは死なない」

 ピートは言った。

「そう誓いをたててるんだよ」

 ピートは砂漠での話をした。

「砂漠でおまえがキャラバンに水をもらいにいったことがあったろう。あの時、キミーがついてかなかった。おれは心配だったんだ。ついにこいつもくたばると思って、死ぬな、って言ったんだよ。そしたら、死なないって。死んだら、リコに袋につめられて忘れられちまうって」

 リコは黙っていた。
 やがて、彼はどうして逃亡が失敗したのか、話した。

 ふたりは二箇所ほど点々と居を変えた後、南米にうつり、チリのサンチアゴに名前を変えてひそんでいた。

 大都市であり、彼らは目立たなかった。ふたりはカジノで働き、共に暮らした。
 しかし、将来をこころもとなく思ったリコは、新しい職を求めていた。

「ちょうど昔任務中に知り合った男と出くわして、パラグライダーのインストラクターの仕事をまわしてもらえそうになった。で、のこのこ面接に出て行ったら、カゴに入れられて、ペルツァーの前に連れていかれたってわけさ」

 彼は目を伏せた。

「どうして、――どうして、あっさり信じたのか。あんな、ただ昔、同じミッションに加わっただけの人間を。――おれは、浮かれてた。油断した。殺されるだけのミスをおかしたんだ」

 二度と同じ失敗はしない、と言った。
 そう言った時、この男にはめずらしく目が怒気に光っていた。



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