キスミー、キミー 第34話 |
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(同じ趣向で殺してやろうか) リコは運転しながら、一再ならず考えた。 車はメキシコシティ郊外の山中にさしかかっていた。煮るも焼くも思いのままである。 裸にしてどこかの木に縛りつけておけば、鳥獣がやわらかい部分から引きちぎっていくだろう。 だが、兵士だった時の冷静さが、それを押しとどめた。死を獣まかせにして、確認しないまま離れるのは愚かである。 リコは車を止め、銃をかまえてトランクを開けた。 トランクの中では、ペルツァーがなかば気をうしない、丸くなっていた。 リコはそれを引っ張り出した。 「まて」 ペルツァーは地面に折り崩れ、喘いだ。 「話をさせてくれ」 「何も聞きたくない」 車に血がつくと思い、リコはペルツァーをひきずった。ペルツァーは必死に足をうごかし、わめいた。 「キミーを帰す。あと少ししたら、必ずきみのところに帰す。だから、話を聞いてくれ。わたしは死ぬんだ!」 リコははじめてふりむいた。 ペルツァーはあえいだ。 「わたしは、ガンなんだ。あと二年も生きない」 彼はあえぎつつ、背広のふちに触れた。が、思いとどまり、 「ここに医師の診断書と遺言状が入っている。確認してくれ」 「必要ない。おまえは今死ぬ」 「わたしはキミーを養子にした」 リコは眉をひそめた。ペルツァーは地面にどさりと尻をつき、息を整えた。 「そうなんだ」 青い目が自嘲するようにリコを見た。 「あの子を愛している。最初から、そうだったんだ」 リコは顔を硬くした。 早く撃ってしまおう、と思った。 「あんたは壊し屋だ。あんたの愛とやらは相手を叩き潰すことだ」 「そうだった。それが好きだった。人間がこの手のなかで、ゆっくり潰れていくのを見るのが、なによりの愉しみだった。わたしは他人の生き血を飲んで、酔っていたばけものだ。だが、平凡な男だ。しあわせが欲しいという点では、きみらとなんら変わりがない」 彼は少し咳き込み、口をぬぐうと、ハンカチをとっていいかね、と胸を指して聞いた。 リコはゆるした。 すぐに気づき、舌打ちした。ペルツァーの話を聞いてしまっている。 ――話をきかずに殺せ。 リコは人差し指を意識した。いま引き金を引かなければ後悔する。 「わたしは平凡な人間だ」 ペルツァーはまた言った。 「平凡な子どもだった。あたりまえに親の愛情をほしがって、友達の関心をひきたがって、なんとかこの人間界に居場所がほしいと思っている哀れなガキだった」 だが、たまたま金持ちの家に生まれた、と言った。 ペルツァーの両親は息子を乳母に預けて、養育しなかった。乳母と教育係は、幼児に生活の作法を教えたが、愛情はそそがなかった。 そのまま寄宿舎に放り込まれた。学校では、みな彼に無関心だった。 「みな、似たような金持ちのガキだ。いじめられこそしなかったが、関心ももたれなかった。とりたてて、面白い子どもではなかったんでな」 「もうけっこうだ」 リコはさえぎった。 「学校の人気者になれないからといって、他人をいたぶっていいということにはならない」 「だが、この世に呼ばれていながら、だれも歓迎してくれないとしたら? パーティーに呼ばれて、めかしこんで出て行く。でも、だれも話しかけてくれなかったら? 手を振っても応えてくれなかったら、かなしくなるだろう。豪華な飾りもご馳走もなんの慰めにもならない。いつまでこうしているのかとおもう。忘れられたまま、いつまで平気な顔をしていればいいのかとおもう。いてもいなくてもいいのなら、なぜ、ここで彼らを見ていなければならないのか。わたしの人生はずっとこの状態だ」 彼は口をつぐんだ。胸のうちを明かしたことを恥じるように、あるいは、むなしさを噛みしめなおすかのように、地面を睨んだ。 いや、とつぶやいた。 「一度だけ話しかけてくれた人間がいた。イェンスという子だ」 彼はリコを見上げ、 「わたしがこの星ではじめて出会った人間だ。彼はわたしにイノシシの牙をくれた」 これだ、と自分の手をひろげてみせた。薬指に象牙色の石の光る指輪が嵌っていた。 青い目がリコを見ていた。 「寄宿学校時代の友だちだ。銀行の頭取の子。愛想がよくて、やさしくて、ひとなつこかった。この子だけは、わたしに近づいてきた。イノシシの牙をくれ、散歩に誘ってくれた。わたしはうれしかった。彼と遊んだ。ふざけ、殴り合い、二匹の仔犬みたいにもみくちゃになって遊んだ。やっと陽の下に出たと思った。はじめてこの『わたし』が、世界にいることが認められた。この世界の感触を五感で味わった。だが、たった二年だ。会って二年目、イェンスはとっとと死んでしまった。交通事故で。わたしはまた灰色の壁になった」 それからずっとひとりだ、とペルツァーはリコを見た。 「いままで、ずっと壁だ。ペルツァー薬品は世界を切り貼りしてきたが、わたしは壁のままだ。キミーに会うまでは」 リコは目を細めた。 ペルツァーはよわよわしく土の上に座り込んでいる。髪は乱れ、ネクタイはくずれ、ズボンも土でよごれていた。 だが、彼は死を決していて、しずかだった。そのしずまりがリコを飲みこんで、縛り上げてしまっていた。 「カナリアを放った時、わたしはイェンスがやったのだ、とおもった。イェンスは遠慮なくそういうことをする子だったから」 「あんたはキミーを刺した」 リコは必死に言った。 「キミーをクラッシュさせて、憂さ晴らしをする気だ」 「わたしは彼をイェンスだと思った。同じシャンパンブロンドの髪。同じ深いグリーンの目。もう一回、わたしを騙しにきたのだとおもった。愛させて、絶望させる気なのだと。わたしはずっと腹をたてていたんだ。もう二度と騙されるわけにはいかない。だから――」 ペルツァーは首を振った。 「わからない」 ほんとうはこんなに整然と理由があってしたことじゃない、もっと混沌とした理由があるのかもしれん、と言った。 彼は眉をしかめた。 「だが、今の気持ちははっきりわかる」 ペルツァーは言った。 「『キミー』にそばにいてほしい」 家族としていてほしい、と言った。 キミーは、と少しわらった。 「ボールを蹴っていたよ。ひとりで。わたしなぞ敵ではないとでも言うように」 そして、わたしも、とうつろに言った。 「かつて、ひとりでボールを蹴って遊んでいた。だれにもかまわれなくても平気だ、と見せつけるために。だが、ほんとうは父に褒めてほしかった。いつか、いっしょにボールを蹴ってくれないかと期待していた。父は来なかった。だれも来なかった。だから、わたしはキミーとボールを蹴った」 どうしてだろうかね、と彼はわらった。その目に涙が浮かんでいた。 「あの瞬間、なにが起きたんだろう。このばけもののような男が、自分の獲物とボールを蹴って遊ぶとはね。高い靴を傷だらけにして、汗みずくになって、中庭を駆け回って。とにかく、あの瞬間に、わたしはわかったんだ。この坊主みたいな息子が欲しかった。小さいエルンストとサッカーがしたかった。本を読んでやったり、誕生日を祝ってやったり、人生や、商売について教えてやりたかった。いや、もっとくだらないこと、ただしゃべったり、小言を言ったり、冗談を言ったりしたかった。もう二年もないのに、やっとわかったんだよ」 リコはじっと銃を見ていた。 指はもう長らく硬直したまま動かずにいる。なにかはさまってしまったかのように、引き金をひけずにいた。 ペルツァーの言葉には裏がない。哀れを乞うものでもない。いっそ語り遺しておきたいといったほどの、剥き出しの生がそこに置かれていた。それらの言葉は抜き身ゆえに、リコのはらわたに響いた。だが、―― (引き金をひこう) リコは氷のように思った。後悔はするだろう。だが、引き金を引いてしまえば、おわる。迷っていても、同情していても、あと少し人差し指を動かせば、あとはいかようにも始末がつく。 「少しだけ待ってくれ」 ペルツァーは言った。 「わたしの寿命はもうたいしてない。長くて二年だ。早ければ来年にもくたばる。その間だけ、キミーを置いておいてくれ。手は触れない。誓う。もうわたしにはそういう体力はないんだ。この星でずっとひとりで生きてきた男が、やっと見つけた家族なんだ」 「おれには関係ない」 リコは自分に言いきかせた。 「誰だって同じだ。誰だって、トラブルを抱えて生きてる」 「わたしは頼んでいるんだ。ひざをついて、きみにお願いしている。わたしに最後に家族を与えてくれ――きみは兵隊だろ?」 ペルツァーは必死に言った。 「きみは何人もの息子たちを父親のもとから奪い、殺してきたんだろう! その兵士の両親の夢もよろこびも奪い去ってきたんだろう。なぜ、たったひとりの男に息子を与えて、よろこばせてくれないんだ」 リコは目をみはった。 撃たれたようにおもった。 赤い風景が脳裏をよぎった。不毛の大地がひろがり、白い袋があたりを埋め尽くしている。 白い袋は無言で彼を責めていた。途中で人生を断ち切られた人間たちが、もっと生きたかった、とわめいていた。 リコは畏れた。 白い袋が動き出すようにおもった。ファスナーが開いて血脂が流れ出すのではないか。たくさんの青い顔が今、彼を見ているのではないか。 ――ここにペルツァーの袋を加えることができるのか。 リコはぼう然と立ち尽くした。銃がとてつもなく重かった。片手で棺を持ち上げるかのようだった。 リコはそれを下ろした。 ペルツァーは涙を流して、言った。 「ありがとう。約束は守る」 リコは彼の前に携帯を投げた。何も言わず、車に乗り込み、その場を立ち去った。 『お帰り。リコ』 キミーがふりかえって笑う。 キミーはリコにビーチに行こうと誘う。 『おべんとう出来てるよ。ビーチでディナー、いいだろ』 キミーはビーチで笑っている。彼は大きなかぼちゃを抱え、夢中で中をほじくっている。 『トリック オア キス?』 キミーは笑っている。 もみの木を抱え、キッチンからふりかえり、ケーキの箱を手に、うれしそうに笑っている。 『リコ。遊園地行ったことないのかよ』 グリーンの目がまるくなる。 『行こう、行こう! おとなだって行っていいんだよ。あ、フロリダに行けるかな、おれたち?』 ベッドの上でやさしく見つめる。眠りながらクスクス笑っている。 小首をかしげて見つめる。 『仕事、増やさないとダメかな? おれ、ぜいたくしないよ』 泣き腫らした目で、はげしく言った。 『絶対、助けるから死ぬなよ! 絶対助けるから』 リコはハンドルにつっぷして動かなかった。 車を停め、数時間、太い頸を折り、ハンドルに伏せていた。 記憶があがくように次々と跳ね上がってくる。 リコはそれをひとつひとつ掴み、袋のなかに投げ込んだ。ファスナーをとじて、永遠に仕舞いこんだ。 |
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