わたしは少しおかしかった。憑かれたように猛々しく、彼を襲った。
「――ウッ――クウッ」
リッチーはとかげのようにシーツにしがみついている。荒々しく彼の尻をえぐるたびに、枕の中で彼の悲鳴が短くこもった。
ベッドの軋む音。ぶつかるたびにコールドクリームのたてる淫らな音。自分の荒い息。それらの音にまぎれ、思考が痺れていく。
「グッ――」
リッチーの手がきつくシーツをつかんでいる。彼がすでに三度射精して、困憊しているのは知っていた。だが、わたしは異様に昂ぶり、はげしいダンスをやめなかった。
彼はついに枕から首をあげ、あがいた。
「ヒッ――ひい、――レ、フ――もうい、もう――アアッ」
彼の泣き声がひどく心地よい。もっと高い声をあげさせたい。押しひしぎたい。もっと、もっと――。
熱い蒸気のたつような彼の中。ぬめった蜜を掻い出し、えぐり、うがつ。彼が恐れる小さな標的を掘りつづけ、掘りつづけ、火花を散らす。
彼の首がのけぞりかかる。泣き声が跳ね上がる。手がしきりにマットレスを叩いている。
「ヒイッ、イッ――アアアッ!」
精を放って我に返ると、リッチーがぐったりしていた。
枕が赤い。 わたしはぎょっとして、リッチーをひっくり返した。彼は鼻血を流し、気をうしなっていた。
「リッチー、リッチー! すまん、リッチー!」
頬を叩くと、彼はすぐ目を開けた。じろりと見て、
「やつあたりしたろう」
ひとこと文句を言い、彼はまた目をとじて、笑った。「罰としてシーツの洗濯してください」
鼻から力がぬけた。
わたしはどさりとベッドにあおむいた。
ぼんやりとさびしかった。極北の枯れ野にいるようにさびしく、不毛だった。
(いつまでつづく)
屈辱に泣いたり、親しい者にやつあたりしたり。
いつまでわたしは凍土を歩くのだろう。先の見えないこころもとなさに、いつまで泣きながら耐えつづけるのだろう。
リッチーが不意にクスっと笑い、起き出した。わたしの胸の上にのそのそ這いのぼり、ここで寝る、と言った。
「重い」
「いいの」
わたしは文句を言ったが、彼のしたいようにさせた。
彼は胸に頬をのせ、
「あんたのこと、前から知ってたよ」
と言った。
「いっつもコーヒーとパンケーキ。背が高くて、いっつもおんなじ、しみだらけの汚れたシャツ着て。金がなさそうで」
彼はクスッと笑い、あんたのマンガの野良犬そっくり、と言い添えた。
「しじゅう腹をすかしてるくせに、傲慢なぐらいプライドが高いんだ。うかつに餌をもって近寄るとガブっと噛みつくんだよ。さっきみたいにね。青い目がいつも微熱でもあるみたいに光って、かなしげで。でも、たまに、へんな時がある――」
リッチーの声は眠そうだった。
「なんだろうな。あれ。あんたがナプキンになにか描いている時、あんたのまわりがぼんやり明るく見えるんだ。光がそこだけ当たっているみたいに。そこだけ春みたいにほんのり明るいんだ。――あれ、天使じゃないのかな」
リッチーの声はとぎれ、からだが重くなった。
部屋はさむかった。ヒーターがよわく、足先がつめたい。リッチーのからだだけが、けなげなほどあたたかかった。
(天使はおまえだよ、リッチー)
わたしは彼のやわらかい髪にキスした。
わたしはあきらめた。
たわいないおしゃべり。不器用な思いやり。神様のくれたこのふたつに満足して、わたしはまた前へ進まねばならなかった。
わたしはアルバイトをもうひとつ増やした。
自由時間は減ったが、以前より集中してマンガを描くようになった。なにより、金の心配をしてうろうろ過ごすよりも精神衛生にいい。かなりきりつめ、家賃を自分の金で返した後、リッチーにも金を返した。
「それと、これは今月の食費。賞味期限切れでない食材を買ってくれたまえ」
「頑固者」
彼はあきれたが、がばと首っ玉に飛びついてきた。「デザート代がたりないね。からだで払ってくれ!」
「もちろんだ」
わたしたちはその日、ベッドの上で大騒ぎした。
リッチー・フェロンはふしぎな恋人だった。
せいぜい22、3に見えたが、30を過ぎていると言った。ほとんど過去は話さない。どこから来たとも教えてくれない。
ひとなつこく、甘ったれに見えて、野放図に甘えることはなかった。「いっしょに住めよ」と言っても、けしてウンと言わない。
このネコは自分のテリトリーにはなかなか踏み入らせないのだ。
だが、ベッドの上では何も隠せなかった。
噛みつくのはやめたが、鷲の鉤爪のような指でわたしの背中をつかまり、全身でからみついてくる。伏せさせないと背中が傷だらけになってしまう。
暴れん坊なわりに首筋と乳首はひどく敏感で、ちょっと愛撫しただけでも、身も世もなく泣き騒ぐ。
「も、もう、だめ。イク。イクってば。レフ、やめないと怒るよ」
いつもそのうろたえようがひどくかわいい。ついついサディスティックな気分になって、もっと泣かせたくなってしまう。
わたしは少し変わった。
他人とのかかわりなどうるさいばかりだと思っていたが、リッチーに会い、少し明るい男になり、少しタフになった。
どん底人生にものんびりかまえられるようになった。
わたしはベッドを見て、微笑んだ。
リッチーがわたしのベッドで眠りこけている。くしゃくしゃのシーツに手足を投げ、白い朝日にかわいい丸い尻をさらしていた。
きまじめそうなウェイターの顔も、哀れな少年の顔に戻っている。
わたしは彼を見つめ、スケッチブックをとって、絵を描いた。
「なに描いているんだい」
リッチーは眠っていても、すぐにわたしの気配に気づく。
わたしはニヤニヤしながら、イラストを描き上げた。自分で見てもかわいかった。
彼はむくりと起き上がり、わたしのスケッチブックをのぞきこんだ。
彼は吹き出した。
「これ、おれ?」
その仔猫のマンガにはウェイター・リッチーというタイトルがついていた。
トレーを頭の上にささげた仔猫がスケートボードで疾走している。彼の後ろを、移民局の役人が怒って追いかけていた。
リッチーはしばらくうれしそうに見つめていたが、
「これかわいいな。コピーしていい?」
「やるよ」
わたしはスケッチブックを破りとって、彼にやった。
数日後、リッチーはわたしに真新しいTシャツを一枚くれた。
「ほら」
どうやったのか、Tシャツにはあのマンガがプリントされていた。
「おれのも作ったよ。ちくしょう、サインしてもらえばよかったな」
わたしの絵を無心によろこんでいる彼がかわいかった。
「リッチー」
小柄な彼のからだを抱きしめる。
幸せだった。こんなたわいないことで幸せになっていいのか、とおもった。
だが、わたしはこの先、成功せず、生活が変化しなくてもかまわないぐらい、幸せだった。
だが、その数日後、わたしの人生は変転する。
その日、リッチーが勤め先のレストランから電話をかけてきた。
「今すぐ来てくれ。はやく!」
悲鳴のようにいい、勝手に電話を切った。
わたしはすわ移民局かと青ざめた。とにかく取るものも取りあえずレストランへ急いだ。
どうしたらいいのだろう。不法滞在に関する予備知識がほとんどなかった。強制送還になってしまうのだろうか。
弁護士のことや、その費用のことを考えながら レストランに着くと、リッチーが飛びつくように迎え出た。
「あ、あの、あのひと。あの奥のテーブルの人。あの人と話してくれ」
「話すって何を」
「マンガだよ!」
「は?」
「は、じゃない。あんた、マンガ家だろ」
彼はめずらしくあわてていた。「Tシャツの絵、見せたんだ。あの人、そういう会社のエージェントなんだ。スケッチブックは?」
「持ってないよ」
「なんで持ってこないんだ!」
わけのわからぬまま、わたしは彼に押し出され、その中年男の向かいに腰を下ろした。机の上にはTシャツがあった。
自己紹介もそこそこ、彼はすぐに切り出した。
「この絵、ほかにもパターンがありますか」
わたしはしかたなく紙ナプキンに仔猫ウェイターの絵をいくつか描いた。
三日後、ウェイター・リッチーは子ども用冷凍ディナーのキャラクター・デザインとして採用されることになった。
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