にゃんにゃん恩返し  第3話

 
 わたしは少しおかしかった。憑かれたように猛々しく、彼を襲った。

「――ウッ――クウッ」

 リッチーはとかげのようにシーツにしがみついている。荒々しく彼の尻をえぐるたびに、枕の中で彼の悲鳴が短くこもった。  

 ベッドの軋む音。ぶつかるたびにコールドクリームのたてる淫らな音。自分の荒い息。それらの音にまぎれ、思考が痺れていく。

「グッ――」

 リッチーの手がきつくシーツをつかんでいる。彼がすでに三度射精して、困憊しているのは知っていた。だが、わたしは異様に昂ぶり、はげしいダンスをやめなかった。
 彼はついに枕から首をあげ、あがいた。

「ヒッ――ひい、――レ、フ――もうい、もう――アアッ」

 彼の泣き声がひどく心地よい。もっと高い声をあげさせたい。押しひしぎたい。もっと、もっと――。

 熱い蒸気のたつような彼の中。ぬめった蜜を掻い出し、えぐり、うがつ。彼が恐れる小さな標的を掘りつづけ、掘りつづけ、火花を散らす。

 彼の首がのけぞりかかる。泣き声が跳ね上がる。手がしきりにマットレスを叩いている。

「ヒイッ、イッ――アアアッ!」

 精を放って我に返ると、リッチーがぐったりしていた。
 枕が赤い。 わたしはぎょっとして、リッチーをひっくり返した。彼は鼻血を流し、気をうしなっていた。

「リッチー、リッチー! すまん、リッチー!」

 頬を叩くと、彼はすぐ目を開けた。じろりと見て、

「やつあたりしたろう」

 ひとこと文句を言い、彼はまた目をとじて、笑った。「罰としてシーツの洗濯してください」

 鼻から力がぬけた。
 わたしはどさりとベッドにあおむいた。
 
 ぼんやりとさびしかった。極北の枯れ野にいるようにさびしく、不毛だった。

(いつまでつづく)

 屈辱に泣いたり、親しい者にやつあたりしたり。
 いつまでわたしは凍土を歩くのだろう。先の見えないこころもとなさに、いつまで泣きながら耐えつづけるのだろう。

 リッチーが不意にクスっと笑い、起き出した。わたしの胸の上にのそのそ這いのぼり、ここで寝る、と言った。

「重い」

「いいの」

 わたしは文句を言ったが、彼のしたいようにさせた。
 彼は胸に頬をのせ、

「あんたのこと、前から知ってたよ」

 と言った。

「いっつもコーヒーとパンケーキ。背が高くて、いっつもおんなじ、しみだらけの汚れたシャツ着て。金がなさそうで」

 彼はクスッと笑い、あんたのマンガの野良犬そっくり、と言い添えた。

「しじゅう腹をすかしてるくせに、傲慢なぐらいプライドが高いんだ。うかつに餌をもって近寄るとガブっと噛みつくんだよ。さっきみたいにね。青い目がいつも微熱でもあるみたいに光って、かなしげで。でも、たまに、へんな時がある――」

 リッチーの声は眠そうだった。

「なんだろうな。あれ。あんたがナプキンになにか描いている時、あんたのまわりがぼんやり明るく見えるんだ。光がそこだけ当たっているみたいに。そこだけ春みたいにほんのり明るいんだ。――あれ、天使じゃないのかな」

 リッチーの声はとぎれ、からだが重くなった。

 部屋はさむかった。ヒーターがよわく、足先がつめたい。リッチーのからだだけが、けなげなほどあたたかかった。

(天使はおまえだよ、リッチー)

 わたしは彼のやわらかい髪にキスした。

 わたしはあきらめた。
 たわいないおしゃべり。不器用な思いやり。神様のくれたこのふたつに満足して、わたしはまた前へ進まねばならなかった。




 わたしはアルバイトをもうひとつ増やした。

 自由時間は減ったが、以前より集中してマンガを描くようになった。なにより、金の心配をしてうろうろ過ごすよりも精神衛生にいい。かなりきりつめ、家賃を自分の金で返した後、リッチーにも金を返した。

「それと、これは今月の食費。賞味期限切れでない食材を買ってくれたまえ」

「頑固者」

 彼はあきれたが、がばと首っ玉に飛びついてきた。「デザート代がたりないね。からだで払ってくれ!」

「もちろんだ」

 わたしたちはその日、ベッドの上で大騒ぎした。

 リッチー・フェロンはふしぎな恋人だった。
 せいぜい22、3に見えたが、30を過ぎていると言った。ほとんど過去は話さない。どこから来たとも教えてくれない。

 ひとなつこく、甘ったれに見えて、野放図に甘えることはなかった。「いっしょに住めよ」と言っても、けしてウンと言わない。
 このネコは自分のテリトリーにはなかなか踏み入らせないのだ。

 だが、ベッドの上では何も隠せなかった。
 噛みつくのはやめたが、鷲の鉤爪のような指でわたしの背中をつかまり、全身でからみついてくる。伏せさせないと背中が傷だらけになってしまう。

 暴れん坊なわりに首筋と乳首はひどく敏感で、ちょっと愛撫しただけでも、身も世もなく泣き騒ぐ。

「も、もう、だめ。イク。イクってば。レフ、やめないと怒るよ」

 いつもそのうろたえようがひどくかわいい。ついついサディスティックな気分になって、もっと泣かせたくなってしまう。

 わたしは少し変わった。
 他人とのかかわりなどうるさいばかりだと思っていたが、リッチーに会い、少し明るい男になり、少しタフになった。
 どん底人生にものんびりかまえられるようになった。

 わたしはベッドを見て、微笑んだ。
 リッチーがわたしのベッドで眠りこけている。くしゃくしゃのシーツに手足を投げ、白い朝日にかわいい丸い尻をさらしていた。
 きまじめそうなウェイターの顔も、哀れな少年の顔に戻っている。

 わたしは彼を見つめ、スケッチブックをとって、絵を描いた。 

「なに描いているんだい」

 リッチーは眠っていても、すぐにわたしの気配に気づく。
 わたしはニヤニヤしながら、イラストを描き上げた。自分で見てもかわいかった。

 彼はむくりと起き上がり、わたしのスケッチブックをのぞきこんだ。
 彼は吹き出した。

「これ、おれ?」

 その仔猫のマンガにはウェイター・リッチーというタイトルがついていた。
 トレーを頭の上にささげた仔猫がスケートボードで疾走している。彼の後ろを、移民局の役人が怒って追いかけていた。
 リッチーはしばらくうれしそうに見つめていたが、

「これかわいいな。コピーしていい?」

「やるよ」

 わたしはスケッチブックを破りとって、彼にやった。
 数日後、リッチーはわたしに真新しいTシャツを一枚くれた。

「ほら」

 どうやったのか、Tシャツにはあのマンガがプリントされていた。

「おれのも作ったよ。ちくしょう、サインしてもらえばよかったな」

 わたしの絵を無心によろこんでいる彼がかわいかった。

「リッチー」

 小柄な彼のからだを抱きしめる。
 幸せだった。こんなたわいないことで幸せになっていいのか、とおもった。
 だが、わたしはこの先、成功せず、生活が変化しなくてもかまわないぐらい、幸せだった。

 だが、その数日後、わたしの人生は変転する。




 その日、リッチーが勤め先のレストランから電話をかけてきた。

「今すぐ来てくれ。はやく!」

 悲鳴のようにいい、勝手に電話を切った。
 わたしはすわ移民局かと青ざめた。とにかく取るものも取りあえずレストランへ急いだ。

 どうしたらいいのだろう。不法滞在に関する予備知識がほとんどなかった。強制送還になってしまうのだろうか。

 弁護士のことや、その費用のことを考えながら レストランに着くと、リッチーが飛びつくように迎え出た。

「あ、あの、あのひと。あの奥のテーブルの人。あの人と話してくれ」

「話すって何を」

「マンガだよ!」

「は?」

「は、じゃない。あんた、マンガ家だろ」

 彼はめずらしくあわてていた。「Tシャツの絵、見せたんだ。あの人、そういう会社のエージェントなんだ。スケッチブックは?」

「持ってないよ」

「なんで持ってこないんだ!」

 わけのわからぬまま、わたしは彼に押し出され、その中年男の向かいに腰を下ろした。机の上にはTシャツがあった。
 自己紹介もそこそこ、彼はすぐに切り出した。

「この絵、ほかにもパターンがありますか」

 わたしはしかたなく紙ナプキンに仔猫ウェイターの絵をいくつか描いた。
 三日後、ウェイター・リッチーは子ども用冷凍ディナーのキャラクター・デザインとして採用されることになった。




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