第2話

 おれは周防デジタルのCEO、喬任陽生(たかとうはるき)の秘書兼通訳になった。

 他社への出向ははじめてではない。
 親父は長男がひよわな箱入り息子に思えてしかたないらしく、すぐに千尋の谷から突き落とそうとする。工場、販売店、取引先と、毎年のようにどこかへ送り込んできた。
 おれも負けず嫌いだから、文句ひとつ言わずにこなしてきたが、今回は――。

「見習いという気分はすぐ捨ててくれ」

 喬任は最初に言った。

「わたしはこの瞬間からきみに予定を一切預ける」

 走りながら学べ、という方針らしい。それはかまわない。
 社長秘書など、たいしてむずかしい仕事ではない。営業成績に悩む必要もなく、赤字決算に悩む必要もない。政治家の秘書のように資金集めに奔走することもない。

 ボスにスケジュールを教えてやり、電話をさばき、飛行機のチケットを取ったりしていればよかった。
 通訳の仕事もたまにあったが、喬任は英語もフランス語もネイティブ並にわかる。ただ戦術的理由で、通訳を置いているだけだ。

 ただ、喬任のことが好きになれない。
 理由はない。喬任は有能なボスだが、クレイジーというわけではない。ヒステリーでもないし、多少気まぐれなところはあるが、それでも人を困らせるようなわがままはしない。

 何が起こっても自分で解決できる男だ。悪くいえば、ひとをそれほどあてにしていない。

 それがイヤなのではない。理由はないのだ。わけがわからないながら、おれはこの男のそばにいると心が波立つ。不愉快になる。

(嫉妬か)

 おれは自分の心理に首をひねった。
 喬任とおれとは四つか五つぐらいしか違わない。かたや世界の第一線で働き、かたやいまだ丁稚奉公という身分差への嫉妬か。

 それともやつが美男だから? なんでも持ってるから?

 それは理に合わない。
 おれはまだ準備期間であることを納得している。うちの会社もそれなりに古く大所帯なので、経営にたずさわるとなれば、おそろしい責任をともなう。社長になれてうれしーってなもんではないことはわかっている。

 ハンサムでモテそうだから、というのも当てはまらない。おれは彼と女子をとりあう人種ではない。

 理由はわからない。が、喬任のきれいな横顔を見ると、イライラする。前世で何かあったのかもしれない。




『もっと奥まで咥えるんだ。咽喉奥まで』

『お尻のほうもお留守になってはいけないよ。よく絞ってくれ』

『こんなにされてうれしいのかい。汁がぽたぽた落ちてるよ』

 おれはかたいバイブを口いっぱいに頬張り、鼻にかかった泣き声をあげた。
 こんなもの尻に入るのかというぐらいの特大サイズだ。わざと咽喉近くまで含み、えづいて苦悶の表情をつくる。厳重な目隠しの内でだが。

 おれはホテルの一室で、自ら目隠しをし、後ろ手錠をかけ、尻にバイブを含んでひざまずいていた。

 無理やりフェラをさせられつつ、尻を犯されるという設定だ。そして、三人目の男はカメラをかまえている。

 シャッター音がたえまなく響く。おれのしかめた眉、濡れた亀頭、男の醜いペニスに押し広げられた肛門が容赦なく写し取られていく。

「ん、クッ、ンンッ」

 カメラに抗議しようとあがくが、さらに咽喉奥にペニスをつきこまれる。

『しっかりしゃぶるんだ。おかわりがほしいんだろ』

 おれは顔をはがそうと暴れる。が、耳をつかまれ、男の臭い陰毛に押し付けられ、腰しか動かない。

 その尻の動きに興奮して、背後の男がつきまくる。(同時にバイブを最強にセット)

 とどろくような響きに、からだ中が粟立つ。

「ん、ふ、ふ、ん、ンッ」

 あとは熱い気流に浮かぶままだ。汗ばんだ手に尻をつかまれ、つきまくられ、おれはなすすべもなく快楽に浮き上がっていく。足が地を離れる。

 顔のそばで、シャッター音が切り刻むように鳴る。尻のそばにも。腹の裏にも。ファインダーごしに男が吸い付くように見ている。舐めとるように。吸い上げるように。

(ア、アア、だ、ダメだ。撮らないで。アアッ)

 腰が跳ね上がり、熱い粘液が鋭く跳んだ。二度、三度。
 ふるえがとまらない。歓喜が体中をかけめぐり、ついには頭から抜け出ていった。

 おれは床に倒れた。でかいバイブを口から出し、はげしく喘いだ。
 天井を眺め、ゆっくりと夢の世界から帰ってくる。

 ――最近、度を越してるかな。

 秘書になってから、土日が自由になった。仕事も楽だ。そのせいか、ひとり遊びの機会が増えた。

 毎週のようにこの秘密基地に通ってきている。志摩のスパつきホテルで、スパもつかわず、部屋にこもって自分を縛り上げている。
 自宅でやるよりもずっと興奮するのだ。

 すこし自分が不安だ。
 以前よりタガがはずれているようだ。登場人物のいやらしいおじさんたちには、露出趣味も加わった。おれは夜中、バルコニーのなかにそっと忍び込むようになった。(外は海しかないが)

 この次は車の中、そしてついには野外に裸で出て行くようになるのだろう。そうやってみんな破滅していくのだ。

(気をつけなきゃな。変態はやればやるほど、刺激がほしくなる)

 だが、理性で考えることと体は別物だ。この衝動は麻薬に近い。
 おれは来客をエレベーターまで送りつつ、週末の妄想のプランをたてている。

 ――クロゼットがあったかな。クロゼットに隠れてやるのはどうだろう。

 楽しみでならない。しかし、おれはある時、つまらないポカをやった。




「いいところだね。静かだし、洗練されている」

 喬任は伊勢えびを口に運びながら、ホテルを褒めた。
 おれは自分のドジに苛立っていた。

 喬任から、休暇は何をしているのか聞かれた時、スパで遊んでいるのだと答えた。そこから話が発展して、なぜか、喬任がこのホテルに遊びにくることになった。

(なんでこんなやつに)

 自分が腹立たしい。なぜ、おれの大事な休暇、大事な遊び時間にこの男を引き入れてしまったのか。
 これでは遊べないではないか。

「うちにきてけっこうたつのに、なかなか話す機会もなかった」

 喬任は食事しつつ言った。

「どんなやつか知りたくてね」

(どうぞ、おかまいなく)

 おれはワイングラスをとりつつ、にがにがしいものをおさめた。

「ふつうの二十代の男ですよ」

「きみ、同性愛者?」

 ワイングラスが手から飛び上がりそうになった。

 ――人生が崩壊した。

 し、しかし、証拠は何もないはずだ。すぐに笑いをつくろい、

「まさか。ちがいますよ」

「そうか」

 喬任はまたエビを食べた。

 ――ああ。もしかして。

 社内の女子と誰もつきあわないからか。

「ぼくはあまりモテなくて。あんまりつきあって楽しい男じゃないんですよ」

「そうかい」

 喬任の微笑み、

「おれはパーティできみが女性を上手にもてなしているのを見ているけどね。きみは女性がこわくないし、不器用でもない。キュートだし、声をかけられるほうだ。だが、興味がないみたいだ。遊びたい盛りの年だろうに、いったいひとりで何やってんだ?」

 あわびが咽喉につまりそうになった。

(なに、このひと。鋭すぎるんじゃねえか?)

 その時、不意におれは喬任が独身なことを思い出した。
 しょっちゅう海外に遊びに行っているから、当然、彼女がいると思い込んでいたが、その女性の影はまったく見えない。

 ――まさか。

 おれはさりげなく聞いた。

「喬任さんは、彼女は」

「いないよ。おれ、ホモだもん」

 爆弾が炸裂した。
 とりつくろっても、つくろえない間が開いてしまった。

 おれはアワビの肉にフォークを当てたまま、目をさまよわせた。まっさきに浮かんだのが、

(どうしよう。変態だ!)

 自分のことを棚にあげ、おれは本物のホモに出くわし、あわてた。
 おれのような半端なホモじゃない。現実に男と乳繰り合っている本物。

 そして、今おれは本物のホモと差し向かいで飯を食っている。カミングアウトされた。ここはホテル。大ピンチじゃないか!
 おれは無様にも泡食って言ってしまった。

「ぼくはちがいますから」

 そう、と喬任は笑った。

「それはいいね。おれはバージンを落とすのが好きなんだ」



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