第3話

 自分の部屋で、おれはパニックに陥っていた。

 矛盾は感じている。おれはホモだ。いつも男に抱かれる夢を見ているカマで、ドMだ。
 方程式からみたら、解は簡単。『渡りに船』だろう。

 だが、まったく違う。おれにとってあのいやらしいハゲのお父さんたちは、妖精なのだ。目を閉じてしか見ることができない、目をあけたらきれいに消えてくれる幻だ。ファンタジーだ。ただの妄想だからこそ、心地よく遊べて夢中になれるのだ。

 現実に、会社の上司に、生身の男に抱かれるなど、とんでもない。おぞましい。相手が絶世の美男でも、他人のペニスを自分の尻に入れるなど、絶対にできない。だいたい、エイズになったらどうするのだ!

 おれはおかしいほど怯えた。
 ホモ上司が襲ってこないよう、ドアの前に椅子のバリケードを築いたぐらいだ。

 明日から、どうしたらいいのか。どうしよう。とうちゃん、おれ帰りたい!




 おれはしばらく警戒していた。
 むやみに喬任の近くによらないようにつとめた。ふたりになる時間を避け、やむを得ない時はドアの近くを確保した。

 だが、喬任のほうは、知らんふりしていた。
 実際、あれきり何を言ってくるでもなかった。就業中はもちろん、アフターファイブでも、口説いてくることはない。セクハラもなかった。

 あいかわらず、あちこち飛行機で飛んで回り、その間に短い休暇をとって遊んでいる。

 ――からかわれただけだったのか。

 ふた月ほど過ぎた時、おれはようやくそう思うようになった。
 喬任がホモかストレートかは、まだグレーだが、気のないものを襲うようなケダモノではないようだ。考えてみれば当たり前のことだが。

 おれはようやく安心して、志摩のホテルに予約をとった。
 幻のおっさんたちはひさびさにかわいがってくれた。おれは枷でしばりあげた体で、ベッドの上をころころ転げ回り、嬌声をあげて楽しんだ。
 翌朝、すっきりと目覚め、鼻歌気分でダイニングに行った。

 だが、窓際のテーブルを見て、目玉が飛び出そうになった。
 喬任が、いたのだ。

「やあ」




 だが、喬任のテーブルにはもうひとり客がいた。外国人、金髪の美青年だ。

「おはよう。おれたち、昨日来たんだ」

 喬任は微笑み、おれにもテーブルに着くよう促した。
 おれはボーイにオーダーをしつつ、自分のドジを呪った。

 ここはいいホテルだった。レストランもうまいし、ビューもいい。スパも楽しめる。
 喬任もここが気に入ってしまったのだ。気に入って、ボーイフレンドをつれてきたのだ。

 金髪の青年はビジネスマン風だが、あきらかに彼の女だった。喬任を見る目がやさしい。

「いるかな、と思ったけど、本当にいたな」

 喬任の言葉に、おれは気分が悪くなった。まるで昨日していたことを見透かされたようで落ち着かない。

「ひさびさにきたんですよ。こないだお連れしてから、はじめてです」

「へえ。おれはあれから三度ぐらい来てるな」

(ナヌ?)

「いいところだね。マイクもここの飯が好きらしいんだ」

 客に愛想を返しつつ、心のなかで嘆息した。
 あーあ。ショバ替えしなきゃ。

 引越しは容易ではなかった。
 幻のおっさんたちがついてきてくれないのだ。都会のラグジュアリーホテルで、体を縛り上げても、落ち着いてエロい気分になれない。

 職場が近すぎる。知り合いがうっかり泊まっていたりする。
 おっさんたちの絵もふわふわして定まらず、セリフも浮かばない。ただむなしくバイブにブンブン揺さぶられているだけの自慰に終わってしまう。

 別の苛立ちもあった。
 おれのなわばりに、喬任が居座っているというのが、不愉快だった。
 肛門に無理やり玩具を押し込んでいると、ふと、冷え冷えとした自己嫌悪を感じる。つい、志摩で喬任と金髪美男がいちゃついている絵が浮かび、わびしいみじめさが湧いてくる。

(別にやつと寝たいわけじゃなし)

 喬任どころか、どんな男と寝たいわけでもない。おかしなことだ。
 だが、現実にふたりで楽しんでいる人間を目の当たりにすると、なにかが揺さぶられる。冷たい手触りの感情が胸に満ちてくる。

 何度かトライしたが、ノれなかった。

 ――やっぱり、あそこじゃなくちゃ。

 あのホテルがいい。おれのスイッチはあのホテルに備わっているのだ。




「マリンスポーツは好き?」

 八月の長い休暇の前に、不意に喬任がおれに言った。

「好きなら、きみも招待しようと思うんだが」

(ノーノー)

 おれは好意に謝しつつ、礼儀正しく断った。
 胸のうちで小躍りしてよろこんだ。喬任はこの夏、モルジブだ。欧米並みに一ヶ月のバケーションをとる。マイクと波乗りでも、ベッドにダイブでもなんでもやるがいい。

 その隙に、おれはひとり淫行にいそしむ。
 志摩に予約を入れた後もひとりウキウキしていた。
 新しくパールバイブも買ってしまった。玉が串団子状に連なった形のものだ。肛門を出入りする感触が何度も楽しめる。

(ピンポン玉も買おうかな。バルコニーで排卵ショーなんか、最高だぞ)

 性欲にとり憑かれた男はもうしょうがない。志摩へと車を運転しながら、おれはエロい妄想で茹で上がっていた。

 だが、辛抱。運転しながら変なとこに触ったりしてはいけません。ロビーでも前かがみになってはいけません。夕食をきちんととるまでは遊びはお預けだ。ドMにはそのお預け感がまた楽しいのだ。

 夕食に大好きなアワビのステーキを食べた後、部屋に入って鍵をかける。さあ、フルスロットルで妄想世界に突っ込んでいくよ。

 おれはルパンのように裸でベッドに飛び上がった。カバンから夢のオモチャ一式をぶちまける。

 最初に新顔の串団子状バイブだ。これにコールドクリームをたっぷり塗りつけ、肛門のうちにもぐりこませる。

(おふ)

 ひとつもぐりこませるごとに肛門が唇のように伸び縮みする。直腸のなかの異物感も新感覚だ。すごく期待できそう。
 さらに、洗濯ばさみ。

「ん」

 乳首をつまむと、それほど痛くはない。遊び用の弱いものだ。
 そしてお気に入りのスタイル。さるぐつわをして、手足に枷をつけ、ばたりとベッドに倒れた。

 電気は消さない。以前は真っ暗にしていたが、最近は痴態をさらす気恥ずかしさにも興奮するようになった。どんどん、人間として遠いところに来てしまっている。

『さあ、坊や。はじめよう』

 スイッチを入れると、無機的な振動が腹のなかを揺さぶる。肛門にわずかな振動が響き、血がざわめく。

(あ……)

 淫靡な振動がやわらかい粘膜をくすぐり、毒のように沁みていく。みるみる下腹に熱がひろがる。背骨が快くつっぱり、ドクドクと股間に脈が鳴り響く。

「ふ」

 ピンチをつけた乳首が騒ぐ。愛撫が欲しい。
 すぐにおっさんの脂ぎった指が胸を覆う。人差し指で乳首揉みこみ、生臭い息を吹きかける。

『気持ちいいのかい。女の子みたいにおっぱいさわられると、いいのかい』

  おれは眉をしかめ、もがき、逃げようとする。するとピンチがシーツでこすれて乳首がひねられる。

「ンンッ」

 おっさんが首筋を舐めながら、乳首をつまんでいる。太い二本の指でこねあげている。

(ああ、だめ。ダメ)

 乳首の淫猥な愛撫におれは腰を振る。尻の中の玉のオモチャが揺れる。玉の一部が感じやすい部分に触れている。圧迫しながら揺さぶっている。

(アアン、アアッ)

 こわいほど心地よい。尻にいくつもの生き物がもぐりこんでいるよう。足の骨から力がぬけてしまう。

「ふ、ンふッ、んんっ」

 おれはオモチャを尻にくわえたまま、転げまわった。勃起したペニスにシーツがすれる。汗ばんだ尻に風が触れる。
 それらはおれのなかで、好色な中年男にかわり、彼らの淫らな愛撫、舌や指に変わる。男たちはおれの尻を撫で回し、責め具を突きこみ、ペニスをしゃぶる。

(アアッ、ダメ。もうダメ)

 泣き声をあげ、吐精しようとした時だった。

「最高の眺めだね」

 男の声に心臓が止まりかけた。

 おれは目を瞠いた。ベッドの前に喬任の長身がくろぐろと立っていた。



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