2011年11月1日〜15日 |
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11月1日 キース 〔わんわんクエスト〕 最近、カボチャの飾りが増えたなあと思っていたら、昨日はハロウィンだったんですね。 おれの部屋にも襲撃がきましたよ。シーツをかぶったアルとロビンが。 「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ」 いい年こいて何やってんだか。当然、お菓子なんかもってませんから、お引取り願おうとすると、ふたりはいきなり襲い掛かってきました。 組み付き、ひとのシャツのなかにでかい氷をいれて、ギャハギャハ笑いながら去っていきましたよ。 男ばっかりで暮しているとどんどんアホになります。(笑) |
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11月2日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕 おれは最近、ロシア料理に凝っている。 ここにくる前はそれこそボルシチとピロシキしか知らず、ロシアといえば、バターを買うのに一日がかりで行列するという印象だったが、マキシムの話をきいているといろんなうまいなものがあるようなのだ。 「ニシンの塩漬けをちょっとつまみながら、くいっとウォッカを飲む。付け合せのタマネギとともにね。サーモンの塩漬けもいいな。イクラとサワークリームをつつんだクレープもうまい」 話しながら、唾を飲み込み、ひどくなつかしげだった。 |
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11月3日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕 いとしの君が故郷の味を恋しがっている。これは男としてなんとかせねばなるまい。 おれは昨今、CFに開講したロシア料理のクラスに通いはじめた。 「ロシアでは、シチー、カーシャ、チョールヌイ・フレープ、クヴァースがあればほかはいらない、といいます」 いきなり講師のしゃべるロシア語メニューに面食らった。 講師は料理が得意という素人のロシア犬だ。専門用語を翻訳する技量はない。 おれはノートにカタカナでシチーだのヴァリーニエだのとメモしながら話を聞いた。 こら大変だ。 |
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11月4日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕 シチーたるものが、キャベツの漬物のスープであることがようやく判明した。 ここにいたるまで一日がかりだ。 10人いる受講者のほとんどがロシア人のため、先生はしだいに英語を忘れ、ロシア語でしゃべりつつ、勝手に作っている。料理ショーでもやっているようだ。 生徒たちも、授業を習うというよりただお国料理を食いたいだけで集まったヒマ人ばかりなので誰もとがめるものはない。 おれは先生がつかった調味料をいちいち舐めてみて、目と舌でおぼえねばならなかった。 |
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11月5日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕 「スメターナ――サワークリーム」 なとど、中庭で書き込んでいると、受講者仲間のアンドレイが来た。 「レシピ、書き取ってんのか。まじめだな」 「イイコのためだからな」 おれはうまいところにきたロシア人に聞いた。 「ニシンの塩漬けってなんてんだ?」 「サリョーナヤ・シェーリチ」 「イクラとサワークリームのクレープは?」 アンドレイは見返した。 「クレープにはいろいろはさむよ」 なんだ、と聞くから、イイコの好物なのだと話した。 「なんで、おまえがやつの好物をつくるんだ?」 |
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11月6日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕 あらためて聞かれると、気恥ずかしい。 「そら、喜ぶ顔が見たいからだろ。なんだかんだいったって、男は飯だよ。飯作ってくれるやつにひっついていくんだよ」 日本的発想だろうか。でも、これはもうロマンなのだ。 マキシムが随喜の涙――を浮かべることはなかろうが――、喜んでおれのつくったボルシチをハフハフ食べる、夜も上機嫌で甘えてくるというのが、最近の気に入りの妄想だ。 アンドレイはおれの顔をぼけっと見ていたが、 「じゃ、ロシア語教えてやるから、日本料理教えてくれよ」 |
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11月7日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕 聞けば、アンドレイの主人は日本人らしい。 飯を作って喜ばそうと思ったことはなかったが、やってみたいという。 「いいおっさんなんだけど、英語がヘタであんまりよくしゃべれないんだ。最近、しょぼくれてるし、ソウルフードで元気づけてやりたい」 おれは感動した。 ここのロシア人ってこういう素朴ないいやつが多いんだ。 「でも、おれは飯はふつうのものしか作れないぜ」 直人を紹介しようとしたが、 「あの子はマズイ」 前に口説いて、ふられたらしい。素朴だが、手もはやかった。 |
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11月8日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕 アンドレイは料理クラスで、おれ専用の通訳になってくれることになった。 これはありがたかった。 わからない時は先生に聞いてくれるし、時に先生に作ってほしいメニューを提案してくれる。 先生の退屈なロシア語のおしゃべりも意味がわかると楽しいものだ。 なんでも、ロシア人はけっこう多くのひとがセカンドハウスをもっているらしい。 夏は都会の喧騒を離れて、郊外の別荘で野菜を育てる。キノコをとる。 「採ったキノコやベリーを煮たり、保存食にするのがこの上なく愉快なんだ」 |
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11月9日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕 クラスの後は、おれがコーチになってアンドレイに和食を教える。 なかなか手ごわい。 アンドレイは味噌のにおいをかいで、吐きそうな顔をした。 「おれ、これダメ」 「日本人のソウルフードだぞ!」 「気持ち悪い。あれみたい」 けしからんことを言おうとしたので、ぽかりと一発。醤油を使えば、おたまにとらず、そのまま注ぐし、箸ではなく、なんでもトングでとろうとするため、せっかくつくった料理を皿のまわりにつっころばすし、前途多難だ。 |
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11月10日 マキシム 〔クリスマス・ブルー〕 ヒロがコソコソ何かやっている。 CFでよくウクライナ人のアンドレイとなにか真剣に話し合っている。おれがいくと、ふたりとも愛想よく迎えるが、さりげなく話題を変えている。 面白くない。 おれはまたなじみの苦々しい気分に襲われだした。 「そんな風に感じるのは当然だろう」 ルノーはおれをとがめたりしなかった。 「大事な相手だ。気になるさ。だが、どうする? 厳しくなじって、彼がきみにしらけるようにする? それとも二度ときみから離れないようにする?」 |
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11月11日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕 おれは人生でほとんどはじめて、料理の本を読んだ。 日本の料理の本はなんて親切なんだ。砂糖ひとさじだの、カップ一杯だのときちんと数字で説明されている。 おかげでテキトー人間のアンドレイもまともな肉じゃがが作れるようになった。 「これはいい」 本人も気に入ったようだ。 「これに、味噌汁がつくのがふつうなんだよ」 「ミソはダメ」 しかたがないので料理本にのっていたキノコ汁にする。あとはほうれん草のごまあえだ。 なんて健康的。おれだって日本でこんなの食ったことない。 |
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11月12日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕 Xデー、おれはドムスのキッチンは使わなかった。 CFのキッチンで料理をつくり、保温器にいれ、魔法のようにサーブするつもりだった。 前菜はニシンの塩漬け。ロシア風クレープ。キャベツの漬物。そして、ボルシチ。そして、子豚のキノコソース! ライ麦パンもきちんと焼いて、デザートはイチゴジャムのビスケット。 おれは保温器を山のように抱えて、ドムスに帰った。そして、キッチンに忍びこんで、ぎくりと足をとめた。 マキシムが鍋の前に立っていた。 「いま、ミソソープつくったよ」 |
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11月13日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕 食卓には白い飯。いんげんのあえ物。タコの酢の物の小鉢が行儀よく並んでいた。 そこにマキシムの大きな手が、味噌汁の碗を置く。 「サンマ、焼いたんだが、炭になった」 と小さく苦笑した。 おれは着席もしないで、味噌汁の碗をとっていた。じゃがいもとワカメの味噌汁だ。 うまかった。じゃがいもがほろりとして甘かった。 胸がつかまれたように痛み、涙が出た。碗を置くと、おれは飛びつくように彼を抱きしめた。 |
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11月14日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕 マキシムは直人に頼んで、個人レッスンを受けていたらしい。 「たくさんの皿をいっぺんに出すから、平行して作るのが大変だ」 彼はサンマを焦がしたのを無念がっていた。 だが、おれが保温器からディナーを取り出すと、今度は彼が言葉をうしなった。 ニシンの塩漬けをつまみ、随喜の涙は――やはり流さなかったが、ひどくなつかしげな微笑を浮かべた。 「素晴らしい。ありがとう。ああ、これでウォッカがあったら最高だ」 |
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11月15日 ヒロ 〔クリスマス・ブルー〕 その晩は新婚のようだった。 おれは彼がかわいくてかわいくてたまらなかった。 こんなにきれいなやつが、神の化身みたいなやつが、小さい頭で何を考えているんだか! おれは彼がおれのためにサンマの様子を見たり、いんげんを茹でたりする姿を思い浮かべ、いまさらに感激した。 いとおしいという感覚が滝のようにあふれてくる。こんな日も、こんな心楽しい日もあるんだなあ、人生には。 |
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